【歴代】日本人選手ウイングのランキング【サッカー】

サッカーのポジション「ウイング」は、昔からスタープレーヤーの多いポジションです。

ほぼほぼ守備を免除され、ドリブルやスピードでディフェンスラインを突破しラストパス、

逆に自分で得点を狙うなどチームの中でも攻撃的な技術をもつ選手が務めます。

今回は、歴代日本人ウイングのベスト5をランキングしてみます。

目次

ウイングとは

ウイングとはサッカーのポジションのひとつで、フォワード(FW)に含まれます。

ほぼほぼFWを3人配置したときに、両サイドに配置されます。

フォーメーション図でウイングの位置を確認してみましょう。

↑黄色い星印がウイングで、FWのうち両サイドを担当します。

 

ウイングは、1960~1980年くらいに世界の主流であったフォーメーション4-3-3で配置されていたポジションです。

1980年代の後半からフォーメーションの主流となった4-4-2によってウイングというポジションは消滅しそうになります。

それでも、オランダ代表やFCバルセロナなどでは基本フォーメーションとして4-3-3が続けられ、ウイングは細々と継続されてきました。

1990年代に世界的に流行した4-4-2のフォーメーションのプレッシングサッカーを打ち破るために、

2000年以降に4-3-3、また4-5-1のフォーメーションが主流となってくると(こちらの記事で紹介しましたけど)、

以前とは少し異なりますけど、ウイングのポジションが復活してきました。

 

このようなフォーメーションの変化によりウイングというポジションは少なくなりましたが、

ウイングの役割はサイドハーフ(MF)やウイングバック(MF/DF)などのポジションが担ってきたんですね。

4-4-2や3-5-2や4-5-1でもウイングの役割は受け継がれてきたと言えます。

 

ウイングは、サイドからの攻撃が求められ、得点に繋がるチャンスメイクや得点をすることが求められます。

特徴的なプレートしては、相手を突破するためのドリブルやスピード、ラストパスに繋がるクロス、そしてシュート。

ドリブル突破、正確なセンタリング、派手なシュート、正しくサッカーで一番盛り上がる瞬間であり、

その役割を担う選手は、昔からスーパースターとなり得る選手が多いんですよね。

1980年代までのウイングは、いわゆる純粋なウイングで守備をすることはほとんどありませんでしたが、

2000年以降のウイングは以前のウイングよりも守備を求められるようになりました。

 

2018年のワールドカップロシア大会では、4-3-3や4-5-1のフォーメーションを使うチームが目立ちました。

4-3-3や4-5-1のフォーメーションで、各国のウイングを確認してみますと、

↑と、このような選手たちがウイングを担っていました。

※4-5-1(4-2-3-1)では、サイドハーフをウイングの範疇に入れました(←役割はほぼ同じですので)。

どうですか、ネイマール、エムバペなどスター選手ですし、日本も乾、原口のプレーには感動させられました。

ポジションと選手の特徴からウイングのイメージをもっていただければと思います。

 

日本人のウイングランキングベスト5

それでは今回のメイン、日本人選手のウイングをランキングしてみたいと思います。

賛否両論おありかと思いますけど、全くの私見ですのでご了承くださいm(__)m

 

過去記事で日本人ボランチをランキングしたのと同じように、

ウイングの役割(突破力、アシスト、得点など)や世界での活躍、代表でのインパクトなどを総合してチョイスしてみたいと思います。

なお、サイドバック、ウイングバックは選考外とします。

 

5位 杉山 隆一

1941年静岡県生まれ。左ウイング。

1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得したときの俊足ウインガー

国際大会で我らが日本代表が初めてメダルを獲得した大会で、大会得点王の釜本とコンビを組んで、同大会で5アシストを記録しました。

銅メダルがかかった開催国メキシコとの試合でも2アシストを記録。

 

日本がメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した時代は、

世界のサッカーのフォーメーションの主流は4-3-3、ウイングというポジションが多用されていて、

ガリンシャ、ジャイルジーニョ、リベリーノ、ジョージ・ベストなどなどのレジェンドウイングが活躍していた時代です。

世界がウイングを主流としていた時代の日本No.1のウイングが、杉山隆一です!

現在のフットボールオブザイヤーである日本年間最優秀選手賞を、釜本の5回に次ぐ3回受賞(同じく3回に木村和司)しており、日本サッカー殿堂にも選出されています。

 

その活躍から「黄金の左足」「20万ドルの左足」と称されます、え?20万ドル??100万ドルとかじゃなくて?(笑)

この時代の20万ドルは、当時の約7600万円、2020年に換算すると1.5億円くらいになるのですが、

日本代表が銅メダルを獲得したメキシコオリンピックの前のオリンピックが、1964年の東京オリンピックなんですね。

この東京オリンピックで、杉山隆一を擁する日本代表は、

強豪アルゼンチンを3-2で逆転勝利するという番狂わせを起こすんですね。

このときに大活躍した杉山隆一を、アルゼンチン側が「20万ドルで連れて帰りたい」と言われたそうで、

それで「20万ドルの左足」と言われるようになったとのこと。

↑画像は、そのアルゼンチン戦での得点シーンです。

・・・かっこよくないですか!

ただ、やっぱり、杉山の時代の日本サッカーは、アマチュアの世界。

この後に出てくるウインガーと比較したときには・・・ということで、5位とさせていただきました。

 

4位 乾 貴士

1988年滋賀県生まれ、左のサイドアタッカー

私見ですが、生粋のウインガーと言えるかどうか微妙ですが、稀代のサイドアタッカーということで、このウイングランキングの4位とさせていただきます。

2011年にボーフム(ドイツ)に移籍し、その後、フランクフルトでもプレーし、5シーズンをドイツで過ごします。

2015年にエイバル(スペイン)に移籍し、ベティス、アラベス、再びエイバルと、リーガエスパニョーラで5シーズンプレー。

2020年現在で、海外クラブでのプレーが11シーズン目を迎えています。

しかも、所属したクラブで、ほぼほぼレギュラーとして試合に出場し続けているんですね。

ポジションは、チーム事情によってサイドハーフだったり、ウイングだったり。

リーガ・エスパニョーラの日本人初の100試合出場を果たし、リーガの日本人出場記録を更新中です。

 

乾は、縦にエグってクロスを上げるという、いわゆる昔ながらのウイングと言うよりも、

担当するサイドでチャンスメイク、また、クレバーに守備をこなす、という現代のサイドハーフの典型だと思います。

派手なプレーというよりも、シブいプレーが乾の特長だと思っています。

 

そして、ときどき、とんでもないことをやってのけるインパクトが!(笑)

あのバルセロナから初めて得点した日本人が、乾!

バルセロナのホーム、カンプ・ノウで初めて得点した日本人が、乾!

しかもこの試合、バルサゴールに強烈なシュートを2つ叩き込み、一時は2-0としたのが、乾!(まぁ試合は2-4で負けるわけですけど笑)。

バルサから2得点する選手って、滅多にいないですよ!

・・・ゴールして静まり返るカンプ・ノウ、

ルイス・エンリケもバルササポーターも「なにが起こっとんじゃ!?」みたいな表情、気持ち良いですよ。

↓永久保存ですよ!

エイバル乾、バルサ戦で2得点

 

乾が長くなってすみませんm(__)mもうひとつだけとんでもない乾を紹介させてください。

もちろん、あのゴールです。

日本代表の歴代ゴールの中でも、歴史的な一撃でしょう!

たかーしいぬいっ!What a Strike! What a Shock!!

とんでもないことをやってくれる乾を、ウイングランキングの4位とさせていただきてもよろしいでしょうか(笑)

バルサ戦の2ゴール、ベルギー戦のゴール、乾の伝説になると思います。

 

3位 奥寺 康彦

1952年秋田県生まれ、左ウイング。

奥寺がドイツで活躍していた時代や環境を考えたとき、私は日本史上最高のサッカー選手だと思っています

 

メキシコオリンピックの銅メダル後、日本サッカーは低迷します。

Jリーグが発足した1990年代までは日本サッカーは弱かったです。

奥寺はそんな低迷期の1977~1986年の9シーズンを西ドイツのブンデスリーガでプレーします。

この間奥寺が所属したケルン、ヘルタ・ベルリン、ブレーメンは、当時世界最高のリーグと評価されていたブンデスリーガで、毎年優勝争いをするチームでした(奥寺が所属した頃のヘルタは2部でしたけと)。

また、外国人枠が制限されているころで各チームに2人(たぶんそうだったと思います)しか、試合に出場することができない状況で、常に外国人のレギュラーとして試合に出場していたんです。

奥寺は、本来は左ウイングの選手ですが、その器用さ、能力かMFやDFも任されていました。

ブンデスリーガで9シーズンプレーし、この間、

通算234試合(2017年に長谷部誠に更新される)、通算26ゴール(2014年岡崎慎司に更新される)という実績を残しました。

奥寺の全盛期は、日本代表が弱かった時代なので代表としての活躍はありませんけど、

個人としての実績から3位とさせていただきます。

 

2位 松井 大輔

1981年京都府生まれ、サイドアタッカーで生粋のドリブラーです。

名門鹿実から京都サンガに入団し、いったいいくつのクラブを渡り歩いたのかっていうくらいたくさんのクラブに所属しました。

フランス、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレーしていますが、フランスでの活躍が光りますね。

ル・マン、グルノーブル、サンテティエンヌでコンスタントに試合に出場しています。

 

松井の特徴は何といっても次に何をするかわからないドリブル、トリッキーなプレーですね。

日本史上でもこんなにトリッキーなドリブルをする選手は思い浮かびません。

 

松井を2位にしたのは、そのプレースタイルがいかにもウイングタイプであることと、ワールドカップ南アフリカ大会での活躍ですね。

南アフリカ大会の松井は、グループリーグと決勝Tの計4試合にフル出場。

キレっキレの攻撃で、日本代表の躍進に貢献しました。

ウイング、サイドアタッカーの育ちにくい日本で、サイドアタッカー、ドリブラーとして、

海外でも日本代表でも活躍した松井大輔を2位とさせていただきます。

 

1位 三浦 知良

1967年静岡県生まれ、生粋のウインガーです。

10代で単身ブラジルに渡り、Jリーグ発足に合わせて帰国し、日本がワールドカップに初出場する1990年代に、日本代表のエースとして活躍してくれました。

カズの全盛期には世界の主流が4-4-2のフォーメーションのときで、ウイングのポジションが少ない頃でした。

そこでカズは2トップの一角としてプレーしましたが、本来はドリブルとセンタリングの上手なウインガーです。

奥寺が、欧州でのプレーを終え、帰国して以降、海外でプレーする選手はいませんでしたが、

1994年、セリエAのジェノアに移籍し、日本人2人目の欧州のクラブでプレーする選手となりました。

 

メキシコオリンピックで銅メダルを獲得して以降、

日本代表が、親善試合で来日した海外のクラブチームにも勝てないという低迷期があり、

例えば、来日したトッテナムを、けちょんけちょんにやっつけてくれたのがカズでした。

アジアでも勝てなかったのが優勝できるようになったり、強くなっていく日本サッカーの中心がカズだったと思います。

生粋のウインガーであること、日本代表での印象度合いから、キングカズを1位とさせていただきました。

まとめ

以上、ここでは、歴代の日本人選手のウイングをランキングしてみました。

ウイングというと、どうしてもドリブルやクロスを多用するFWの両翼をイメージしてしまいますが、現在のウイングは、MFの両翼のサイドアタッカーがそれにあたります。

外国と比べると日本はウイングタイプの選手が少ないように感じます。

Cロナ、ロッベン、松井大輔やカズのような、ウイングが出てきてほしいですよね。

当ブログの考えるウイングランキングはこのようになりましたが、みなさんはどう思われますか?

今後もウイングやサイドアタッカーにも注目してみてください。

 

今回の記事が読んでくださったみなさんのサッカーの楽しみにお役に立てればうれしく思います。

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