都道府県別の歴代最強ベストイレブン、ここでは広島をやってみたいと思います。
広島は、日本にサッカーが伝わり、サッカーの全国大会が開催され始めた頃からの強豪地域です。
つまり、日本で古くからサッカーが盛んだった地域のひとつが広島だと言えます。
そんな広島ですから、古くからの名選手が多い傾向にあります。
私選ですが、広島の歴代ベストイレブンを選出してみます。
目次
広島の歴代ベストイレブン
※敬称は省略させていただきますm(__)m
広島の歴代最強ベストイレブンはこちらです!
※「今西和男」の字が間違っていますすみませんm(__)m
※GKは「船本幸路」です。舩木ではありませんm(__)m
↑全体的に往年の選手が多くなってしまいました、広島の歴代ベストイレブン。
2020年1月現在の現役選手は森重と槙野とハーフナーの3人、あとは古い時代?の選手たちばかりです。
このことは、前述しましたけど、広島が昔からサッカーの強い地域で、昔から日本のトップクラスの選手がいたということだと思います。
個人的な印象ですが、一言でいうと「抜け目のない」「何を仕出かすかわからない」ベストイレブンだと思います。
日本最初のゲームメーカーと評される宮本輝紀、
日本史上最高のテクニシャンと評されるドリブラー金田喜稔、
「日本の10番」木村和司、「日本一腰の低いJリーガー」森島寛晃、スキを見せると何を仕出かすかわからない選手たちが広島の中心選手です。
ベストイレブン選出の選手を出身地でまとめてみますと、
- 船本 幸路(広島市)
- 古田 篤良(広島市)
- 森重 真人(広島市)
- 小城 得達(広島市)
- 槙野 智章(広島市)
- 田坂 和昭(広島市)
- 宮本 輝紀(広島市)
- 木村 和司(広島市)
- 金田 喜稔(府中町)
- 森島 寛晃(広島市)
- ハーフナーマイク(広島市)
- 渡辺 正(広島市)
- 森 孝慈(福山市)
- 森脇 良太(福山市)
- 永井 謙佑(福山市)
- 今西 和男(広島市)
- 下村 幸男(広島市)
↑となります。
広島市の出身の選手がほとんどですね。
ぶっちゃけ!書ききれないんですよ、名選手が多すぎて。
そして、私は木村和司とか金田喜稔のプレーは観たことがありますけど、それ以前に活躍していた選手たちのプレーは観たことがありあせん。
で!日本がオリンピックで銅メダルを獲得したという日本サッカーの金字塔と言われる1964年のメキシコオリンピックのときの代表メンバーに、5人もの広島出身の選手がいて(渡辺正・宮本輝紀・桑原楽之・小城得達・森孝慈)、
※↑私が知っているのが5人で、実際は7人の広島出身だったとのこと。
また、その銅メダルのときの監督も長沼健(広島市)ですから、メキシコオリンピックの時の日本代表は広島出身だらけなんです。
また、右SBに選出しました古田篤良は、18歳のときに日本代表に選出され、後に市川大祐に更新されるまで、日本代表の最年少出場記録の持ち主です(市川の記録は17歳322日)。
2020年現在も広島出身のJリーガーたちがたくさんいるんですけど、とにかく、昔の選手たちが凄すぎるんですよ、広島の場合は。
広島の歴代最強イレブンは、1960年代に活躍した選手たちを中心に選出させていただきました。
広島のサッカー(私見です)
広島のサッカーは強い!凄い!!んです。
このブログの記事の文字で、文章で、広島の凄さを伝えられますかどうか・・、歴史から広島のサッカーの特徴をお伝えしたいと思います。
広島のサッカーを語るときには、日本のサッカーの歴史を振り返らなければなりません(笑)
日本にサッカーが伝わったのは1870年代(明治初期)頃と言われています。
日本でサッカークラブができるのが、1890年代の東京師範(現筑波大)や御影師範(廃校?)、慶応大学などです。
1900年代に入り、初めて日本のサッカークラブ同士の試合が行われ(東京師範v慈恵医専)、
1918年(大正7年)に、日本で初めてのサッカーの全国大会が行われました。
日本にサッカーが伝わって約40年経った段階です。
そして、1921年(大正10年)に、現在も続く天皇杯が開催されることになります。
その天皇杯なんですが、天皇杯が始まった頃の広島のチームの成績なんですが、
- 第2回:準優勝(広島高師/現広島大学)
- 第3回:棄権(広島一中/現国泰寺高校)
- 第4回:優勝(鯉城蹴球団)
- 第5回:優勝(鯉城蹴球団)
- 第6回:中止
- 第7回:準優勝(鯉城蹴球団)
↑と、第7回までに、優勝2回、準優勝2回と、抜群の成績を誇ります。
つまり、日本でサッカーが行われ始めた創成期に、日本でトップの強さを誇っていたのが広島ということです。
広島一中、鯉城蹴球団は、現在の国泰寺高校のサッカー関係のようですから、国泰寺高校で特にサッカーが熱心に取り組まれていたことがうかがえます。
その後、日本のサッカーは社会情勢の影響を受け、大会の中止などもありながら、ほそぼそと続けられたんでしょう。
戦争が終わって、日本のサッカーはワールドカップやオリンピックへの出場を目指しますが、なかなかアジアを突破することができません。
そして、1960年(昭和35年)日本サッカーの運命の人物デットマール・クラマーを招聘し、日本サッカーの強化を図ることになります。
クラマーの指導の下、開催された1964年の東京オリンピックで、日本代表は予選リーグを2位で突破しベスト8に進出しますが、
このときの日本代表の監督は長沼健(広島市)、選手19人中5人を広島出身の選手が占めます。
クラマーの提言により、日本サッカーの強化のために、1965年に日本サッカーリーグ(JSL)が創設されますが、
このJSLが創設されてから、東洋工業(マツダの前身/現サンフレッチェ広島)がいきなりの4連覇!
Jリーグが始まる1991-92年シーズンまで全27回の開催されましたが、4連覇したのは東洋工業しかありません、ヤンマーも読売も日産も連覇がせいぜいです。
1968年に日本代表がメキシコオリンピックで銅メダルを獲得しますが、このときの監督も長沼健、予選からの登録選手21人中7人が広島県出身の選手です。
※都道府県別の出身者をみると、東京2人茨城2人、静岡2人、埼玉2人、大阪2人、などです。
つまり、日本のサッカーが盛んになった時期の1960年代の、日本代表のメンバー、東洋工業の活躍などから、この時期の広島のサッカーは日本のトップレベルにあったことがうかがえます。
以上のことから、日本のサッカーの創成期である1920年代、隆盛期である1960年代に、広島のサッカーは日本のサッカーをリードし、日本を代表する強豪地域だったと言えると思います。
サッカーが盛んかどうかを計るひとつの指標として、高校生世代のサッカーの実績をみてみますと、
インターハイでは、広島皆実、広島観音が、
国体では、修道が5度、また広島選抜も1度、
選手権では、修道、東千田、山陽、広島皆実などが、
U18高円宮杯ではサンフレッチェユースが3度、
それぞれ優勝しています。
結論として!広島のサッカーは、日本にサッカーが伝わった頃から2020年の現在に至るまで、ずーっと日本の強豪地域であり、
日本のサッカーの発展に貢献している地域だと言えるのではないでしょうか。
プレーヤーとしてだけではなく、指導者や関連団体の役員としても、広島出身の方はもの凄く多いですよね。
日本のサッカーの屋台骨を支えてきたリーダーが広島だと思います。
まとめ
以上、今回は、各都道府県の歴代ベストイレブン、広島編をやってみました。
名づければ、「油断も隙もない広島歴代ベストイレブン」でどうでしょう(笑)
広島出身でもない私が、広島のサッカーを語ってしまいましたが、広島の方に失礼はなかったでしょうか(笑)
この歴代最強ベストイレブンは、47都道府県のベストイレブンをやるつもりでいます。
まとめ記事もありますので、よかったらのぞいてみてください。
今回の記事が読んでくださったみなさんのサッカーの楽しみにお役に立てればうれしく思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。