久保建英が所属したFCバルセロナとは【サッカー】

2018年現在で久保建英は、アジアサッカー連盟(AFC)のU19選手権に出場し、

2019年に行われるU20ワールドカップの出場を決めました。絶好調ですね。

その久保が10歳で所属したのが世界的なビッグクラブであるFCバルセロナ。

今回はそのFCバルセロナ、また、久保建英との関係について紹介してみたいと思います。

目次

FCバルセロナ

https://equiposdefutbol2.blogspot.com/

世界的なビッグクラブのひとつであるFCバルセロナについて紹介します。

 

FCバルセロナが創設されたのは1899年(日本では明治32年)で、約120年の歴史があります。

スペイン国内においては、

リーガエスパニョーラを25回優勝(レアル・マドリーに次ぐ第2位

コパ・デル・レイ(スペイン国王杯)を30回優勝(第1位

ヨーロッパにおいては、

UEFAチャンピオンズリーグ優勝5回(第3位

UEFAスーパーカップ優勝5回(第1位

と、スペイン国内にとどまらず、世界のビッグクラブのひとつであることは間違いありませんね。

 

FCバルセロナのクラブのスローガンは「MES QUE CLUB(クラブ以上の存在という意味)」で、バルセロナの襟のところに刺しゅうされています。

これはスペイン国内の長年の事業であるカタルーニャ民族主義の現れによるもので、

カタルーニャ地方の独立問題も含むややこしい事情から、

FCバルセロナはカタルーニャ民族主義の象徴という意味が込められているとのこと。

 

ホームスタジアムはカンプ・ノウで99,354人収容(世界第5位)。

サッカークラブはオーナーがいることが多いんですけど、FCバルセロナは運営母体が特徴的で、

一般市民から会員を募り、その会費で運営されています。

ソシオ」と言われる個人会員組織で、会員は全世界で18万人ほどのようで、会費は年間23,000円とのこと。

日本でも会員募集がされましたが、入会条件が厳しくて、現在は入会がかなり難しくなっているようです。

この運営体系は、近年、日本でも定着してきた感のある総合型スポーツクラブのモデルですね。

このソシオという運営体系のため、バルセロナのユニフォームにはスポンサーのロゴを入れないことが伝統とされた来ましたが、

2006年以降にロゴが入るようになり、2017~2021年の間は「Rakuten(楽天)」のロゴが入ることになっているようです。

 

世界的なビッグクラブであることから、世界的なプレーヤーも数多く所属していました。

バロンドールを輩出したクラブとしては世界2位です。

マラドーナ、ロマーリオなど莫大な有名選手の中から特に「この選手こそバルセロナ!」みたいな歴史的な選手を羅列してみます。

リカルド・サモラ(GK)

バルセロナ出身。レフ・ヤシンと並びサッカーの歴史上最高のGKと評される選手。

リーガエスパニョーラの最優秀GK賞は「サモラ賞」と言って、リカルド・サモラに因んでいます。

「20世紀の偉大なサッカー選手100人」の79位(スペイン人では1位)に選出されています。

カルレス・プジョル(DF)

カタルーニャ出身。バルセロナ一筋、15年間で392試合に出場。

鍵となる選手はプジョルだ。世界最高のDFのひとりというだけでなく、彼は決してあきらめないからだ(シャビ

ルイス・スアレス(MF)

スペイン、ガリシア地方出身。ウルグアイの噛みつき男とは違う初代ルイス・スアレスです。

スペイン人初のバロンドーラーでその時の所属クラブがバルセロナです。

ジョゼップ・グアルディオラ(MF)

カタルーニャ出身。今や世界最高の監督にひとりと呼び声の高いペップ(←愛称)もバルセロナで11年263試合に出場しています。

シャビ・エルナンデス(MF)

バルセロナ出身。バルセロナで17年505試合出場しています。

バルセロナの下部組織出身で生え抜きでバルセロナの中心選手として活躍し、

スペイン代表でも2008年以降に欧州選手権やW杯を優勝に導いた中心選手です。

我らが日本代表が準優勝した1999のワールドユースでも優勝国のスペインのエースはシャビでした。

アンドレアス・イニエスタ(MF)

バレンシア方面の出身。シャビの3年後にバルセロナでデビュー。

16年で442試合の出場。長い間バルセロナの頭脳として活躍しましたね。

バルセロナを離れて我らが日本に来てくれました。うれしいですね。

パウリノ・アルカンタラ(FW)

フィリピン出身。バルセロナで記録したゴールは369ゴールで、メッシに抜かれるまで約100年間バルセロナの最多ゴール記録保持者です。

バルセロナと言ったらアルカンタラを覚えておいたほうが良いです。

1910~1920年代にヨーロッパで最初に成功したアジア人プレーヤーです。

1917年に日本代表はフィリピン代表と極東選手権で対戦(←日本で開催)して、2-15で大敗しています。

このときのフィリピンのエースがアルカンタラです。

この15点は、我らが日本代表戦史上最多失点記録であり、フィリピンの最多得点記録です(笑)

シャンドール・コチシュ(FW)

ハンガリー出身。1950年代世界最強のマジック・マジャール(←ハンガリー代表の通称)のCF。

1956年から7年間バルセロナでプレーしています。

「20世紀の偉大なサッカー選手100人」の68位に選出されています。

ヨハン・クライフ(FW)

オランダ、アムステルダム出身。ご存知のとおりサッカー史上のレジェンドのひとり。

アヤックスでのプレーが長いですが、当時世界最高額の移籍金でバルセロナに移籍。

バルセロナに2度目のバロンドールをもたらしたのがクライフです(←自身は3度目)。

監督としても8年間バルセロナを率いています。

その他

サモラ、プジョル、グラルディオラ、シャビ、イニエスタ、アルカンタラ、コチシュ、クライフ。

これらの選手はバルセロナのレジェンドと言っても差し支えないと思います。

バルセロナのレジェンドとまではいかなくても、活躍した世界的な選手もたくさんいます。

現役選手も含めてあげてみますと、

  • ロナルド・クーマン(DF/オランダ)
  • ラファエル・マルケス(DF/メキシコ)
  • ジェラール・ピケ(DF/スペイン)
  • ベルント・シュスター(MF/ドイツ)
  • マラドーナ(MF/アルゼンチン)
  • ルイス・エンリケ(MF/スペイン)
  • セルヒオ・ブスケツ(MF/スペイン)
  • ロマーリオ(FW/ブラジル)
  • ルイス・フィーゴ(MF/ポルトガル)
  • リバウド(MF/ブラジル)
  • クライファート(FW/オランダ)
  • サビオラ(FW/アルゼンチン)
  • ロナウジーニョ(MF/ブラジル)
  • エトオ(FW/カメルーン)
  • メッシ(FW/アルゼンチン)
  • アンリ(FW/フランス)

などなど、ちょっと紹介しきれませんね。

日本でもプレーしたり、監督を務めたりした選手もいますよ。

  • ベギリスタイン
  • アマリージャ
  • リネカー
  • フリオ・サリナス
  • ラウドルップ
  • ストイチコフ

などです。

バルセロナについて紹介してみました。

選手の紹介が多くなってしまいましたが、

クラブの運営が会員組織によるという他のクラブとは違っていることが特徴的だと思います。

こんなビッグクラブに日本期待の天才少年は縁があったわけです。

バルセロナと久保建英

さてさて、久保建英(たけふさ)とバルセロナについてです。

こんな120年の歴史があり、世界の誰もが知っているビッグクラブに所属していた天才少年が日本にいるわけですよ。

ご存知、久保建英選手です。

2018年現在でマリノスに所属していまして、AFCU19選手権で活躍し2019年にポーランドで開催されるFIFAU20W杯に出場を決めました。

久保建英選手は前回のU20W杯にも出場していますので、U20には2度目の出場となるでしょう。

 

過去記事でも紹介したことがあるのですが、

久保建英選手は10歳のときにバルセロナの下部組織であるカンテラ(バルセロナのカンテラを「ラ・マシア」と言います)に所属します。

ラ・マシアには年齢ごとに16段階のクラスがありますが、アレビンC(11~12歳)に所属しました。

13歳になると年齢のクラスインファンティールAに所属しましたが、

バルセロナの18歳未満の外国人選手移籍、登録違反によって日本に帰国を余儀なくされるわけです。

9歳で入団テストに合格し、10歳からバルセロナの下部組織でプレーしたのですから、天才少年と騒がれて当然ですよね。

ラ・マシアの出身者は、加入した年齢も表記してみると

  • グラルディオラ(13歳)
  • ジョルディ・クライフ(?)
  • デ・ラ・ペーニャ(15歳)
  • シャビ(11歳)
  • プジョル(17歳)
  • イニエスタ(12歳)
  • セスク(?)
  • メッシ(13歳)
  • ピケ(10歳)
  • ブスケツ(14歳)

と、こうなります。

繰り返しますが、久保建英は10歳ですよ。

シャビやイニエスタ、メッシらよりも幼くして入団しているんです。

久保建英の凄さがおわかりいただけますでしょうか。

・・・とは言っても、メッシで味をしめたバルセロナが世界中でサッカーキッズを探し始めて、

幼いうちに確保しとこうとの意図もあってのことだとは思いますけど(笑)。

久保建英が和製メッシと呼ばれるように、世界中にどこどこのメッシと呼ばれる小さいドリブラーがたくさんいますからね。

そのことを差し引いたとしても、久保建英のバルセロナ入団は快挙であることは間違いありませんし、

こんな凄い選手たちがプレーしたバルセロナでのプレーが期待できるわけですから、注目しとかないわけにはいきませんよね。

久保建英の今後

1018年で17歳の久保建英選手ですが、2019年には18歳になるわけです。

前述したようにバルセロナは2014年に18歳以下の外国人選手の移籍、登録違反によって処分を受け、

久保建英をはじめとした18歳以下の外国人選手を手放すことになったんです。

 

バルセロナを離れた選手たちが順調なサッカー人生を送り、レベルアップしているかというとそうでもないんですねぇ。

久保建英と同時にバルセロナを離れた選手たちは、18歳になればバルセロナとの契約が可能になるのですが、

現時点でバルセロナに復帰できた選手は一人もいないようです。

久保建英は横浜でもなかなか試合に出場できていませんが、バルセロナに復帰できるのでしょうか!?

一度離れてしまうと難しいんでしょうねぇ・・・。

しかし、最近の記事ですけど、久保建英本人もバルセロナ復帰を強く望んでいて、

バルセロナも久保建英を常にチェックしていると、スペインの全国紙が報道したらしいです。

しかも、レアル・マドリード、チェルシー、パリサンジェルマンが久保建英を獲得しようとしたが、本人が拒否をしているらしいですよ。

もしバルセロナに復帰できるようなことがあれば、

先ほど紹介しましたアルカンタラ以降、アジア人がバルセロナで活躍したことがないわけですから、

どうしても期待してしまうんですよね(笑)

繰り返しますが、バルセロナ下部組織に所属していた世界中のメッシたち??が復帰できていないわけですから、

簡単だとは思いませんけど、久保建英選手の今後の動向には注目です。

まとめ

以上、今回はFCバルセロナというビッグクラブの紹介と、バルセロナと縁のあった久保建英選手の今後の動向について紹介していました。

バルセロナの監督をしていたフランク・ライカールトは「バルセロナの最後のピースは小野伸二だ」と小野伸二の獲得を希望していたとのこと。

あのバルセロナに最も近づいたのが小野伸二だったのかもしれません。

しかし、久保建英は小さいころ既に縁があったわけですから、今、一番バルセロナに近い選手だと言えます。

・・・誰一人復帰できていない中で、久保建英は復帰できるかもしれない・・・、

と考えると久保建英の今後には注目しておかなければなりませんね。

くれぐれも怪我をしないように気を付けてもらいたいですね。

今回の記事が読んでくださった皆様のサッカーの楽しみに役に立てればうれしく思います。

よかったら過去記事の<<名将って?歴代の日本代表監督から考えてみます【サッカー】>>もご一読ください。

最後まで読んでいただきありがとうございます。