日本サッカー界のレジェンドを知っておきましょう

ペレ、クライフ、マラドーナなどの世界のサッカー界にレジェンドと呼ばれる伝説的な選手がいるように、

我らが日本にもレジェンドと呼ばれる選手がいます。

そりゃあ世界と比べるとこぢんまりとはしていますが、現在に至る日本サッカーを支えてきたことには間違いありません。

今回は日本サッカー界のレジェンドを紹介してみたいと思います。

なにをもってレジェンド?

日本でサッカーの試合が行われたのは、諸説ありますが、1866~1874年に横浜、神戸、東京工業大学の体育の授業のいずれかという説があります。

これが日本にサッカーが伝来したときであり、江戸時代の最後から明治時代のはじめに当たる時期で、大政奉還や戊辰戦争があった時期です。

諸外国と比較しても、実はそんなに遅くないんですよ。プロ化が遅いんですね。

 

1888年イングランドでフットボールリーグが開催されます。世界最古のプロサッカーリーグです。

日本サッカーがプロ化するのは1993年のJリーグ開幕ですから、サッカーのプロ化は100年以上遅れているわけですね。

1904年(明治37年)に国際サッカー連盟(FIFA)が設立され、17年後の1921年(大正10年)に日本サッカー協会(JFA)が設立されます。

そして、1923年に日本代表は初めて国際大会に出場することになります。

この国際大会に出場した頃から現在までの日本人選手が今回のレジェンドの対象になるわけです。

繰り返しますけど、1923年に国際大会に出場した日本人選手は全てアマチュアの選手になります。

 

日本サッカー界で名選手と言われる選手はそれは多くいます。

その全てはレジェンドと言っても良いのでしょうけど、キリがありませんので、チョイスしたいと思います。

レジェンドを選定するにあたっては、例えば、日本サッカー殿堂に選ばれた方々もレジェンドと言えるでしょう。

また、サッカー日本代表に選出された方々もレジェンドの条件?としてみることもできると思います。

このような選手の中から、

  • 日本サッカーの歴史的な偉業を成し遂げた
  • その後の日本サッカーに大きな影響をもたらした
  • 後世の人たちの記憶に残った

という点を重要視してみたいと思います。

また、レジェンドの段階を2段階に分け、

  • 日本人に語り継がれていくレジェンド(神)
  • あ、そう言えばそういう人いたねぇ(通常)

というレジェンドに区分けしたいと思います。今回は神レジェンドのみ紹介したいと思います。

そして、あくまでも、このレジェンド認定は、僕個人の考え、僕の知っている範疇によりますので、ご了承いただきたい(笑)

この選手がレジェンドなら、あの選手だってレジェンドだ!などのご意見も多々あるかと思いますが、なにとぞご容赦ください。

ちなみに、過去記事で世界のサッカー界のレジェンドも紹介していますので、ご一読いただければと思います。

知っとこう!世界のサッカー界のレジェンドたち【神編】

知っとこう!世界のサッカー界のレジェンドたち【続編】

神レジェンド!

もう一度言います。世界のレジェンドとの比較はなさらないようお願いします。

あくまで日本国内でのレベルと言いましょうか、日本サッカー界で語り継がれていく「」ということです。

釜本 邦茂

1944年京都府出身。ポジションはFW。日本のレジェンドの最高峰に君臨する日本の神です

早稲田大学からヤンマー(セレッソ大阪の全身)でプレー。

日本サッカーリーグ(JSL)通算202ゴール(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)、得点王7回(歴代1位)、日本年間最優秀選手賞7回(歴代1位)。

早稲田大学生の頃から日本代表に選出され、1960年代中頃から1970年代中頃まで日本代表のエースストライカー。

日本サッカーが国際大会で初めてメダル(銅メダル)を獲得した1968年メキシコオリンピックの得点王

1964年の東京オリンピックでは順位決定戦でユーゴスラビアに敗れますが、ユーゴの得点者はあのイビチャ・オシムです。

釜本が全盛期だった1960~1970年代の日本サッカーはプロがなく、全選手がアマチュアで、

国際試合やオリンピックに出場しても、試合相手もプロではなくアマチュアだったり、弱い国との試合が多く、

釜本の得点が価値のあるものではないという評価も一部あるようですが、まぁそれはそうかもしれません。

選手としての、ストライカーとしての力量も現代の選手と比較したきは、きっと現代の選手のほうが上でしょう。

逆に釜本が現代に生まれていたらどんな選手になっていたかもわかりませんよね。

しかし、その時代の背景やサッカーのレベル、観る人たちの印象などから、釜本の活躍に歓喜し、釜本を精神的支柱にしたのではないかと考えられます。

そういう意味で、1968年のメキシコオリンピックの銅メダルは、日本サッカーにとって快挙であり、釜本が日本サッカー界のエースであったことから、レジェンドとして認めても良いと思います。

釜本が活躍した時代は1966年にW杯イングランド大会、1970年にW杯メキシコ大会、1974年にW杯西ドイツ大会が開催され、

ペレ、ベッケンバウワー、エウゼビオ、Gミュラーなどのレジェンドが活躍していた時代であり、釜本はこれらの選手と同世代ということになります。

奥寺 康彦

1952年秋田県出身。ポジションは本来左WGですがサイドハーフ、守備的MF、左SBなどをこなすオールラウンダー。

日本人初のプロサッカー選手は誰か?ということでは、さだまさしさんの弟の佐多繁理さんの件もありますが、欧州でプレーした日本人プロサッカー選手の第1号が奥寺です。

当時のドイツのブンデスリーガは1976~1984年の8年間、UEFAリーグランキング1位でした。ということは、世界最高のリーグと言えるでしょう。

奥寺はその世界最高峰のブンデスリーガで1977~1986年の9シーズンをプレーしました。

所属したクラブはケルン、ヘルタ・ベルリン(2部)、ベルダー・ブレーメンというドイツの名門中の名門です。

はじめに所属したケルンではリーグ優勝。次のシーズンにUEFAチャンピオンズリーグに出場しベスト4進出。

ベルリンを経てブレーメンに移籍しますが、ブレーメンでは5シーズン在籍の間、常に優勝争いを繰り広げ、3度の準優勝。

常にレギュラーとして試合に出場し、その正確で安定したプレーから「東洋のコンピューター」と呼ばれました。

奥寺が西ドイツでプレーしていた時に、1978年アルゼンチンW杯、1982年スペインW杯、1986年メキシコW杯が行われましたが、ブンデスリーガで一緒にプレーした選手たちが出場しています。

ケルン時代の同僚には

  • シューマッハ(西ドイツ代表)
  • クルマン(西ドイツ代表)
  • シュスター(西ドイツ代表)
  • リトバルスキ(西ドイツ代表)
  • Dミュラー(西ドイツ代表)
  • エルケーア・ラルセン(デンマーク代表)

ブレーメン時代には

  • フェラー(西ドイツ代表)
  • オルデネビッツ(西ドイツ代表)
  • ペッツアイ(オーストリア代表)

という、W杯に出場した各国代表の凄い選手たちと同僚でした。

ケルン時代のエルケーア・ラルセンは奥寺らにレギュラー争いに敗れ移籍を余儀なくされます。メキシコW杯で大活躍したデンマークのあのエルケーアがですよ!

また、マガトー、ルムメニゲ、マテウス、ヘーネスなどの西ドイツ代表選手たちと優勝争いを繰り広げていたわけです。

1970年代の後半から1980年代の中頃まで、世界最高峰のブンデスリーガで1チーム2人しか外国人選手が試合に出られない状況の中で、レギュラーとして試合に出場し続け、9シーズンのほとんどを優勝争いをしました。

世界のサッカー界で、プロとしての実績を残した初めての日本人奥寺は、間違いなく日本サッカーのレジェンドです。

比較するつもりはありませんが、アマチュアの時代だった釜本は海外の実績はありません。

そういう意味で言うと、プロサッカー選手として世界基準で活躍した奥寺こそ真のレジェンド、神と言えるのかもしれません。

木村 和司

1958年広島県出身。ポジションはもともとWGですが攻撃的MFとしてのプレーが多かったですね。

国際大会での活躍はありませんし、海外でのプレー経験もありません。

テレビ番組で「海外からの誘いはあったんじゃけど、自信がなかったけぇ」と広島弁で言ってました(笑)。

JFL時代に日産でプレーし、Jリーグが始まってマリノスで3シーズンプレーし引退しました。

1980年代に奥寺がドイツで活躍していた時代に、日本国内でのスター選手であり、弱かった日本代表のエース、10番でした。

ぶっちゃけ、釜本や奥寺に比べ、また、プロ化した後のスター選手に比べると、技術的にも劣るでしょうし、国際大会等での実績もありません。

木村和司がレジェンドである理由は、語り継がれる「伝説のフリーキック」の1点のみです。

1985年、国立競技場で行われたメキシコW杯の最終予選の韓国戦、日本リーグの試合では閑古鳥がないていた国立競技場が満杯になり、ホーンが鳴り響いていました。

プロ化したばかりの韓国はとても強く、加藤久、木村和司、戸塚、都並、原、水沼など当時の日本スター選手が揃った日本でもとても歯が立たないような感じでしたね。

前半のうちに韓国に2点先行され、やはりだめか・・・と日本中が思ったであろう、前半終了間際に、木村和司のワールドクラスのFKが突き刺さるわけです。

ご存知のように、日本はアウェーでの韓国戦でも敗れ、W杯出場の夢は絶たれるわけですが、

1968年のメキシコ五輪から1990年代まで続く、よわーい日本代表が、世界に最も近づいたのが、この試合だったんです。

その1980年代のよわーい日本代表のエースで背番号10であった木村和司は日本サッカーの希望であり、誇りでもあったわけです。

もう一度言いますが、木村和司は国際大会での実績も、海外クラブでの経験もありません。奥寺のように世界基準にはなかったと思います。

しかし、木村和司は日本人の記憶に残る選手であることから、日本サッカーの神レジェンドにしてみました。皆さんはどう思われますか。

日本年間最優秀選手を3度受賞しています(歴代2位)。

三浦 知良

(↑講談社様お借りします)

1967年静岡県生まれ。ポジションはWG、FW。

1990年初頭、日本にプロサッカーの機運が高まってきたときから、1998年のW杯初出場に至る約10年間、日本サッカーの顔として、日本サッカーの発展に大きく影響を及ぼしたキング・カズ。

ブラジルでプロとしてのキャリアをスタートさせ、

Jリーグの開幕に合わせる形で日本に帰国、

その後奥寺以来となる欧州イタリアのジェノバでプレー、

また、クロアチアのザグレブでもプレーし、

なんと51歳で現役というモンスターと言えばモンスター。

日本代表としては、W杯の出場はありませんが、ダイナスティカップやアジアカップでは優勝しています。

キリンカップなどでも、招待されたクラブや国に歯もたたなかった1980年代に比べ、カズの時代になると、平気で勝つようになりました。

1990年代の日本サッカーがW杯出場に向けて強くなっていった時代の日本のエースであり、象徴でもありました。

現在の日本のサッカー人気を確立させた張本人と言っても過言ではないと思います。

  • アジア年間最優秀選手賞受賞(日本人初)
  • 日本年間最優秀選手賞2回受賞(歴代3位)
  • Jリーグ最優秀選手賞受賞(初代)
  • Jリーグ得点王(1回)

ドーハの悲劇であと一歩のところでW杯出場を逃し、W杯初出場となったフランスW杯では落選してしまい、ついにW杯への出場はなりませんでした。

それでも、三浦知良は日本サッカー界の神レジェンドとしても良いのではないでしょうか。

中田 英寿

1977年山梨県生まれ。ポジションはもともとWGだったと思いますがMFに転向しています。

湘南からペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトンと所属していて、ペルージャとパルマでは出場が多かったですけど、それ以外はイマイチでした。

キング・カズの後の日本代表のエースとして、日本を初のW杯出場に導き、1990年代の後半から2000年代の中頃まで、日本サッカーを牽引したのがヒデですね。

キング・カズは日本国内のサッカー人気を高めてくれたスタープレーヤーでしたが、

ヒデはイタリアでの活躍により、日本人選手の海外クラブ移籍の道を切り開いて、

海外サッカーを日本に広めた張本人だと言っても良いと思います。

ペルージャでのデビュー戦ユベントスでの2得点、ローマでの優勝を決定づけたユベントス戦などは、我々日本人も歓喜したはずです。

日本代表としてフランス、日本、ドイツの3回のW杯に出場し、日本代表が世界にデビューした頃の、日本のエースでした。

  • アジア年間最優秀選手賞2回(歴代2位、日本人最多)
  • 日本年間最優秀選手賞

そんなヒデも日本サッカーに貢献した選手であり、現在に至る海外移籍を定着させた先駆者として、日本サッカーの神レジェンドとして認定しても良いのではないでしょうか。

以上のように、

  • 釜本 邦茂(1970年代)
  • 奥寺 康彦(1980年代)
  • 木村 和司(1980年代)
  • 三浦 知良(1990年代)
  • 中田 英寿(2000年代)

の5人を、その時代の日本のエース、スター選手の代表として、神レジェンドと認定してみました。

レジェンド?

神レジェンド以外にも、日本サッカーに貢献した、日本サッカーにインパクトを残した選手はたくさんいます。

神とまではいかなくても、十分に語り継がれる選手やレジェンド候補は以下のとおりです。

・川本 泰三 ・八重樫 茂生

・杉山 隆一 ・宮本 輝紀

・小城 得達 ・吉村 大志郎

・小林 ジョージ ・ジョージ 与那城

・ロペス ワグナー ・三都洲

・闘莉王 ・永井 良和

・金田 喜稔 ・原 博美

・加藤 久 ・都並 敏史

・堀池 巧 ・井原 正巳

・柱谷 哲二 ・ラモス 瑠偉

・中山 雅史 ・前園 真聖

・小倉 隆史 ・藤田 俊哉

・名波 浩 ・城 彰二

・川口 能活 ・楢崎 正剛

・柳沢 敦 ・小野 伸二

・久保 竜彦 ・中澤 佑二

・稲本 潤一 ・中村 俊輔

・高原 直泰 ・遠藤 保仁

・長谷部 誠 ・長友佑都

・岡崎慎司 ・香川 真司

・本田 圭佑 ・吉田 麻也

・酒井 宏樹

日本サッカーが国際大会で世界にびっくりさせたのは、1936年のベルリンオリンピックです。

そのときに我らが日本代表の先人たちは「ベルリンの奇跡」というジャイアントキリングをやってしまいます。

そのときのエースが川本泰三(←機会がありましたら是非紹介したいです)。

他にも東京オリンピックやメキシコオリンピックで活躍した八重樫キャプテン、杉山隆一、

日系ブラジル人のサッカーを日本に定着させることになる吉村大志郎(ネルソン吉村)、

マイアミの奇跡の前園、川口、城など、

日本サッカーのレフティ名波、俊輔、

日本サッカー史上最高のタレント世代、小野、稲本、高原など

まだまだ現役ですが、長谷部キャプテンや本田圭などは引退後は神レジェンドに入るのではないか、

などなど、機会がありましたら記事にしてみたいと思います。

まとめ

以上、今回は日本サッカー界のレジェンドは?ということで、特にレジェンド中のレジェンド、神レジェンドの5人を紹介しました(勝手に認定してしまいました)

サッカー選手個人のレベルや技術は、現代の選手のほうが全然うまいと思います。

しかし、サッカーの時代背景や感動、衝撃などの感情的な見方によって、

そのときそのときの選手たちを見てしまいがちになるのもサッカーの面白さだと思います。

皆さんの思うレジェンドはどんな選手ですか?

今回の記事が読んでくださった皆様のサッカーの楽しみのお役に立てればうれしく思います。

よかったら過去記事の<<日本人選手の年俸を比較などしてみました【サッカー】>>もご一読ください。