ワールドカップサッカー2018ロシア大会で、我らが日本代表と対戦したコロンビア。
試合開始3分程度でPK奪取&レッドカードというW杯の歴史でも超幸運が舞い降りて、
日本代表が勝利することになりました。
そんなコロンビアは本当に強いのか?今回はコロンビア代表が強いのかどうかを考えてみたいと思います。
目次
最近のコロンビア代表
コロンビアの強さを測るにあたり最近のコロンビアの成績をみてみましょう。
皆さんも記憶に新しい2014ブラジルワールドカップから振り返ってみます。
2014ブラジルワールドカップでのコロンビアは南米予選をアルゼンチンに次ぐ2位で通過し本大会出場。
本戦1次リーグでギリシャに3-0、ドログバ、ヤヤトゥーレが率いる強豪コートジボワールに2-1、
そして我らが日本代表をけちょんけちょんの4-1で下し3連勝で決勝トーナメントへ進出。
決勝トーナメント1回戦、フォルラン、カバーニ、スアレスを揃える同じ南米の古豪ウルグアイにハメス・ロドリゲスの2発で2-0の完勝、ベスト8に進出。
ベスト4を賭け開催国ブラジルと戦いましたが1-2で敗れます。
コロンビアの新エース、ハメス・ロドリゲスは大会得点王に輝きます。
この大会のコロンビアは非常に強いという印象でした。
2015年のコパ・アメリカはアルゼンチンにPK戦で敗れベスト8、
同じく2016年のコパ・アメリカでは優勝したチリに準決勝で敗れ3位。
そして、記憶に新しい2018ロシアワールドカップでは、初戦で日本代表に1-2で敗れますが、
その後、レバンドフスキー率いるポーランドに何もさせず3-0の完勝、セネガルに1-0で勝利し、日本代表とともに決勝トーナメントに進出。
決勝トーナメント1回戦で4位となるイングランドにPK戦で敗れます。
エースのハメス・ロドリゲスが怪我で万全ではなかったことが響いたのかもしれないですね。
逆にハメスが2014年の状態だったらどうだったでしょうか。この大会も強いという印象がありました。
2014~2018年の5年間でワールドカップ、コパ・アメリカの4度の国際大会に出場し、全ての大会で決勝トーナメントに進出。
あまりあてにならないFIFAランキングでは2012~2016年の5年間は10位以内、最高は3位。
2018年8月現在では14位でドイツ、イタリア、オランダよりも上です(ちなみに日本は55位)。
最近のコロンビア代表の主な選手は、大黒柱のハメス・ロドリゲス、ドリブラーのグアドラード、
ストライカーのファルカオ、守備の要サパタ、これからのコロンビアを支えるであろうキンテロなど、
世界のビッグクラブで活躍する選手ばかりです。
2014年以降のコロンビア代表について紹介しましたが、
世界のベスト8に残れるくらいの強いチームだと思いますけど、いかがでしょうか。
コロンビア代表の歴史
コロンビア代表の歴史を振り返ってみましょう。
コロンビアがサッカーの国際大会で活躍するようになったのはおおよそ1990年以降です。
サッカー大陸南米の新興国と言って良いでしょう。
愛称は「Los Cafeteros(コーヒーを作る男たち)」でお国柄をあらわしているのでしょうか。
1970年までのコロンビアは国際大会に出場することも難しい弱小国で(←世界的にみたときに)、
ワールドカップには1962年のチリ大会に出場し、ユーゴスラビアに0-5で大敗を喫するなど1次リーグで敗退しています。
1980年代後半に、コロンビアの長い低迷期を打ち破る、コロンビアの救世主とも言える世界的選手が登場します。
カルロス・バルデラマの登場により、コロンビアは国際大会で活躍する強豪国に成長していきます。
1987年に開催されたコパ・アメリカでは前年のメキシコワールドカップで
優勝したマラドーナ率いるアルゼンチンを破り3位になります。
開催国がアルゼンチンでしたので、完全アウェーの中で世界チャンピオンを破ったことになります。
このときの活躍によりバルデラマが南米最優秀選手に選出されます。
バルデラマに率いられたコロンビアは1990年のイタリアワールドカップに28年ぶりに出場。
西ドイツ、ユーゴスラビアと同組となる厳しいグループを勝ち抜け、決勝トーナメントに進出。
決勝トーナメント1回戦で、この大会で旋風を巻き起こしたカメルーンに惜しくも延長戦の末に破れてしまいます。
このカメルーンやイビチャ・オシムの率いたストイコビッチを擁するユーゴスラビアの活躍が世界を驚かせましたが、
このときのコロンビアも西ドイツとの激戦などで世界に認められます。
イタリアW杯後、1991年のコパ・アメリカで4位、1993年のコパ・アメリカで3位と着実に経験を積んでいきます。
アメリカW杯の南米予選では、ブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)でアルゼンチンを5-0という歴史的な大勝劇を演じるなど圧倒的な強さで予選を通過。
W杯の優勝候補に挙げられるほどのチームに成長します。
迎えた1994年アメリカワールドカップでは、英雄バルデラマ、テクニシャンのリンコン、
アスプリージャ&バレンシアという強力2トップというタレントを擁しましたが、
初戦のルーマニアに出ばなを挫かれ1-3のまさかの敗戦、
2戦目の開催国アメリカ戦では大会後に悲劇を生んでしまうオウンゴールなどで1-2の敗戦。
3戦目のスイスには2-1で勝ちますが1次リーグ敗退となります。
治安が良くなかったコロンビアですが、
アメリカワールドカップで優勝候補にあげられていたにもかかわらず、
1次リーグで敗退となったことでコロンビアの選手たちは帰国を躊躇する中、
オウンゴールをした守備の要だったエスコバルは帰国します(←選手の中で1人だけ帰国したそうです)。
そして「エスコバルの悲劇」と語られる事件が起きてしまうわけです。
それでも、英雄バルデラマを擁するコロンビアはまだまだ強く、1998年のフランスワールドカップにも出場を果たします。
しかし、又してもルーマニアに0-1と敗れ、チュニジアには1-0で勝利しますが、
ベッカム、スコールズ、オーウェン擁するイングランドに0-2で敗れ1次リーグで敗退となります。
このときバルデラマは36歳、バルデラマとともにコロンビアを牽引してきたリンコンは32歳、
この2人がコロンビア代表を去ると同時に再びコロンビアの低迷期が訪れることになります。
2002年、2006年、2010年のワールドカップには南米予選を突破できずに本戦へは出場できません。
そして、ハメス・ロドリゲスの登場に合わせて2014年のブラジル大会を迎えることになります。
このように、南米の弱小国(←繰り返しますが世界的にみて)であったコロンビアが、
バルデラマという稀代のプレーヤーの登場により、
約10年間、世界のサッカーの強豪国として国際大会で評価をされますが、
バルデラマの引退と合わせて再び低迷期に陥り、
ハメス等の登場で再び国際大会で強豪と認められるという推移になっています。
コロンビアの名選手
もちろん知っている方も多いとは思いますが、コロンビアの名選手を紹介します。
カルロス・バルデラマ
コロンビアサッカー史上最高の選手と言って良いでしょう。
試合中ほとんどインサイドキックだけでプレーする稀代のパサー。
南米最優秀選手賞を2度受賞。代表キャップは111でコロンビア代表最多。
2004年の「偉大なサッカー選手100人」にコロンビアから唯一選出される。
1990年代の強いコロンビア代表の大黒柱でした。
1990年イタリアW杯での西ドイツ戦の必殺スルーパスをどうぞ。
ちなみに、西ドイツのゴールはJリーグでもプレーしたリトバルスキーです。
レネ・イギータ
コロンビア史上、いや世界でも珍しい、ペナルティエリア外をも守備範囲とした異色のGK。
守備だけでなく相手陣地深むまで攻め込み、攻撃的なGKの先駆者。
バルデラマなどと同じく、1990年代の強いコロンビアの象徴的な選手でした。
アンドレアス・エスコバル
1990年代の強いコロンビアの守備の要がエスコバルでした。
当時は南米屈指のセンターバックと評価される。
エスコバルの悲劇によりこの世を去ることになります。享年27歳。
フレディ・リンコン
1990年代にバルデラマと並び強いコロンビアの中盤に君臨したのがリンコン。
1994年アメリカW杯後ナポリに移籍し大活躍、その後レアル・マドリードに移籍するが、
人種差別などを受けヨーロッパでのプレーを断念したとのこと。
バルデラマとともに1990年、1994年、1998年の3大会連続でワールドカップに出場し、10試合全てに先発出場しています。
先ほどの映像の西ドイツ戦、バルデラマの必殺スルーパスを受け西ドイツGKイルクナーの股間を通したシュートを決めたのがリンコンです。
ファウスティーノ・アスプリージャ
1990年代のコロンビアのエースストライカー。
イタリアのパルマで大活躍し、当時の世界最強ACミランの59試合無敗記録を阻止したのがアスプリージャでした。
ワールドカップでは活躍できませんでしたが、
コロンビアが特に強かった1993年頃のアスプリージャとバレンシアの2トップは世界最強との評価でした。
ラダメル・ファルカオ
コロンビア代表の最多得点記録を保持するストライカー。
バルデラマ等の引退等によりコロンビアが低迷期となった2000年代にコロンビアを支えたのがファルカオです。
欧州の強豪クラブであるポルト、A・マドリード、モナコ、マンUなどでプレー。
怪我により2014年のブラジルワールドカップには出場できませんでしたが、
2018年のロシアワールドカップに初出場、我らが日本戦にも出場しました。
ハメス・ロドリゲス
現在、世界のサッカー界でトッププレーヤーとして認識されているハメス・ロドリゲス。
22歳で出場した2014年ブラジルワールドカップで得点王となる大活躍で世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たす。
その才能はユース世代の頃から知られており、コロンビアの英雄バルデラマと比較され、バルデラマ本人も自分の後継者だと認める。
ハメスの愛称は「新たな少年」と言いますが、元祖「少年」はバルデラマの愛称で、後継者ということを示しているようです。
ホセ・カオル・ドク
コロンビアのサッカー史に日本と所縁のある選手がいました。
それが日系コロンビア人のドク・カオル(道工・薫)選手です。
コロンビア国内リーグが誕生した1948年、初年度に優勝したインデペンディエンテ・サンタフェのDFだったようです。
クラブのキャプテンも務めたようで、活躍が認められ、コロンビア代表にも選出されたようです(代表キャップは1)。
日本との交流活動にも貢献があり1990年に先祖の祖国である日本より勲章を受けたようです。
こんな選手もいたんですね。
これらの選手以外にも、強いコロンビアの有名選手はたくさんいます。
- アドルフォ・バレンシア
- イヴァン・コルドバ
- ファン・クアドラード
- カルロス・バッカ
- クリスティアン・サパタ
- ファン・フェルナンド・キンテロ
なども、1990年代のコロンビア、これからのコロンビアを代表する選手たちです。
まとめ
以上、今回はサッカーコロンビア代表がどれだけ強いのかというテーマで、
コロンビアの強さやコロンビアサッカーの歴史などを紹介してみました。
1990年代にバルデラマの登場で世界の強豪の仲間入りをしたコロンビアですが、
バルデラマ、リンコン、アスプリージャの引退と同時に一時衰退しますが、
2010年以降、ハメス・ロドリゲス等のタレントの登場で再び世界の強豪となります。
FIFAランキングも10位以内を推移し、今では14位くらいですが、ドイツ、イタリア、オランダよりも上です。
ワールドカップの優勝国であるアルゼンチンやフランスなどにも平気で勝ちますし、
間違いなく世界のベスト10に入れる実力をもった強い国だと思います。
こんなコロンビアに日本は勝ててよかったです(笑)。
11人揃ったコロンビアだったらと思うとぞっとします。
ハメスが引退したときにはまた低迷期に陥るのかもしれませんけど、
今後もコロンビアを気にしながらサッカーを楽しみたいものです。
今回の記事が読んでくださった皆さんのサッカーの楽しみに役に立てればうれしく思います。
過去記事の<<柴崎岳のプレースタイルを徹底分析【サッカー】>>もご一読ください。