レアル・マドリードの久保建英がマジョルカにレンタルされることが決まりましたね。
レアルのカスティージャだとリーガの3部になりますので、
リーガ1部のマジョルカでプレーしたほうが、久保建英のサッカー人生にはプラスになるのではないでしょうか。
そこで今回は、マジョルカのいうクラブチームを紹介したいと思います。
目次
マジョルカ(RCDマヨルカ)
ネットなどで調べてみますと、「マヨルカ」が正式なクラブの名称となっているようですが、
日本では?むかしから「マジョルカ」と呼ばれていましたので、ここでは「マジョルカ」でいきます。
マジョルカというクラブを簡単に。
Real Club Deportivo Mallorca, S.A.D. (通称:マジョルカ)
愛 称: Los Bermellones(朱色)
ホーム: パルマ・デ・マヨルカ(スペイン)
創 設: 1916年(大正5年)
スタジアム: エスタディ・デ・ソン・モイクス(23,142人)
国内タイトル: 国内カップ1回優勝
国際タイトル: なし(UEFAカップウィナーズカップ準優勝1回)
マジョルカは約100年前にできたサッカークラブです、歴史があるんですね。
スペインの国内リーグでの優勝経験はありません、スペイン国王杯(スペイン国内カップ)で1度優勝しています。
スペイン国内のサッカークラブとしてはあまり強豪とは言えないクラブで、
昔から、スペインリーグの1部と2部を行ったり来たりするようなサッカークラブでした。
クラブのリーグ実績では、リーガ2部(セグンダディビジョン)のほうが長いですね。
2000年前後がマジョルカの全盛期の時期で、
1997シーズンにリーガ1部に昇格すると、1998シーズン、2000シーズンの2度、リーガ3位という好成績を収めています。
2002シーズンには、クラブ史上唯一となるスペイン国内タイトル、スペイン国王杯で優勝。
その後2012シーズンまではリーガ1部に所属していましたが、
2013~2018シーズンはリーガの下部リーグ所属でした。
そして、今シーズン(2019-20シーズン)7年ぶりにリーガ1部に復帰しました。
1部復帰と同時に久保健英をレンタルで獲得したということになりますね。
・・・どうでしょ、全盛期には強いサッカークラブだったのですが、
現状ではリーガ1部に残ることが目標となる、・・・あまり強くないサッカークラブという評価が妥当でしょうかm(__)m
ただし、私見ですけど、このマジョルカはけっこう印象的なサッカークラブです。
マジョルカの本拠地が、スペインの観光地マジョルカ島だからです。
リーガエスパニョーラ所属のサッカークラブは、マジョルカ以外は全てスペイン大陸?にホームタウンがあるんですけど、
マジョルカだけは、島にあるサッカークラブなんですね。
※リーガ1部には「ラス・パルマス」というカナリア諸島にあるサッカークラブもありますが、2019-20シーズンは2部に降格しました。
↓ここにあるんですけど、
↑地図の赤い部分の一番大きな島にマジョルカがあります。
個人的には、昔から「がんばれ島のチーム!」みたいな感じで応援してましたけど(笑)
久保建英のマジョルカへのレンタル期間は1年間とのこと。
久保建英は1年間このマジョルカ島でサッカーに打ち込むことになります。
マジョルカのユニフォームは↓こんな感じです。
愛称の「朱色」がモチーフになっているんでしょう。
この記事を書いている段階では、久保建英の背番号も決まっていないようです。
背番号が決まったら、マジョルカのユニフォームが欲しいですね(笑)
マジョルカは、こんなサッカークラブです。
マジョルカでプレーしたサッカー選手たち
これまでにマジョルカでプレーした有名なサッカー選手たちもチェックしておきましょう。
これまでに日本人選手も在籍しましたので、日本では馴染みが深いかもしれません。
大久保 嘉人
大久保は2004~2006の2シーズンをマジョルカでプレーしました。
当時の監督の、あのクーペルからの評価も高かったようで、デビュー戦で大活躍しましたが、怪我によって出場機会が減りました。
大久保が復帰したとき、マジョルカは1部の残留争いの真っただ中だったのですが、大久保の大活躍などもあり残留を決めました。
マジョルカからの評価は高かったようです。
家長 昭博
家長は3シーズンをマジョルカで過ごしました。
しかし、出場の機会が少なく、活躍したとは言えないですね。不遇の時代を過ごしたということです。
ファン・カルロス・バレロン
柴崎が所属することになったラ・コルーニャの全盛期の中心選手のひとり、バレロン。
バレロンがリーガ1部にデビューしたサッカークラブがマジョルカです。
スペイン代表キャップ46の実力者です。
ディエゴ・トリスタン
スペインの点取り屋ディエゴ・トリスタンもバレロンと同じで、ラ・コルーニャで大活躍した選手ですが、
リーガ1部デビューはマジョルカです。
スペイン代表の10番を背負ったことのある選手です。
ダニ・グイサ
マジョルカ史上唯一のピチーチ賞(リーグ得点王)を獲得したのがグイサ。
ペナルティキックによるゴールなしの得点王ですから、もの凄いです!
サミュエル・エトオ
エトオは久保建英と同じような青春時代を過ごすんです・・・。
16歳でレアル・マドリード(のカスティージャ)と契約したエトオでしたが、
外国人扱いであったため試合に出場することができず、他のクラブへレンタルされます。
レンタル先でもあまり活躍できなかったのでレアルは、エトオをマジョルカに手放します(←バルサは久保くんを・・・)。
エトオはマジョルカで、クラブ唯一のタイトル、スペイン国王杯をゲットするなど、大爆発します!
このマジョルカでの活躍で、エトオは、自分を手放したレアルの永遠のライバル、バルセロナに移籍することになります。
そして、バルセロナに在籍していた5シーズンの間に、
UEFAチャンピオンズリーグ2回、国内リーグ3回、ピチーチ賞、という当時の世界No.1のストライカーとなります。
このエトオが才能を開花させたのがマジョルカです(←と私は思っています(笑)
マジョルカ史上最高のビッグネームはエトオでしょう。
ナダル
マジョルカ島の生まれで、マジョルカの通算最多試合出場の記録(255試合)をもつ選手です。
スペイン代表として1994、1998、2002の3度のワールドカップに出場し、代表キャップ62を誇る、スペインの名選手なんです。
マジョルカの下部からトップに上がりプレーしていましたが、その実力が認められ、バルセロナに移籍します。
バルサで8シーズン過ごした後、再びマジョルカに戻り、引退します。
ミゲル・アンヘル・ナダルは、マジョルカの真のレジェンドです。
・・・スペイン、マジョルカ島、ナダル・・・、
スポーツに詳しい方であれば、なにかピンときませんか(笑)
はい、あの世界的なテニス選手のラファエル・ナダルのおじさんがこのミゲル・アンヘル・ナダルで、
ミゲル・アンヘルのお兄さんのトニは、ラファエルのコーチです。
マジョルカではこんな選手たちがプレーしていたんですね。
マジョルカ島の人たちを、久保健英が歓喜させてほしいものです。
まとめ
以上、今回は、久保建英の移籍が決まったサッカークラブ、マジョルカについて紹介しました。
久々にリーガ1部に昇格してきたマジョルカですので、上位の成績を求めるのはちょっと厳しそうです。
1部残留を目標にするのが現実的でしょうか。
また、マジョルカのレジェンドである、バレロン、トリスタン、エトオのように、
マジョルカで大活躍して、ビッグクラブに移籍するという前例を、久保建英に期待したいですね。
リーガはもう開幕していますから、早く試合にでてほしいですね。
今回の記事が読んでくださったみなさんのサッカーの楽しみにお役に立てればうれしく思います。
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