冨安健洋の移籍が噂されているボローニャFC。
イタリアの古豪ですけど、どんなチームなんでしょう。
クラブの歴史、過去に活躍した選手を振り返ってみて、ボローニャがどんなチームか予習しておきましょう(笑)
また、このブログで紹介します4つ目のクラブです。
ユニフォームも含めてクラブチームを覚えてしまいましょう。
目次
ボローニャFCの歴史
まず、ボローニャFCの歴史を簡単に。
クラブの概要は次のとおりです。
Bologna Football Club 1909 s.p.a(通称:ボローニャ)
愛 称:Felsiei(フォルシナ人)、Rossoblu(赤と青)
ホーム:ボローニャ(イタリア)
創 設:1909年(明治42年)
スタジアム:レナト・ダッラーラ(38,279人)
国内タイトル:リーグ7回優勝、国内カップ2回優勝
イタリア国内のクラブチームではそう古いほうではないんですが、それでも100年以上の歴史があります。
クラブの呼び方は、愛称として「フォルシナ人」や「赤と青」がありますけど、「ボローニャ」という呼び方が通常かと。
セリアAでの実績は、主要なクラブの優勝回数をみてみますと、
- 35回:ユヴェントス
- 18回:ACミラン
- 18回:インテル
- 9回:ジェノア
- 7回:トリノ
- 7回:ボローニャ
- 3回:ローマ
- 2回:ナポリ、ラツィオ、フィオレンティーナ
このようになっていまして、優勝7回、2位4回でリーグでは6位の実績です。
しかし、ボローニャがセリエAで優勝したのは、1920~1940年代がほとんどで、
近年、例えば2000年以降は、最高順位は7位、セリエBへの降格などもあったりと、セリエAでは下位に沈むことが多くなっています。
つまり、正しくセリエAの「古豪」とはボローニャのことではないかと思います。
それでも、リーグでの実績はローマ、ナポリ、ラツィオなんかより上ですからね!
歴史のあるサッカークラブと言えますね。
ボローニャFCに在籍した選手たち
そんなちょっと冴えないm(__)mと思われるボローニャですけど、これまでに在籍したサッカー選手はけっこう凄いんですよ。
クラブの全盛期が1920~1940年代というと、ワールドカップサッカーの第1~3回が開催された時代でして、
その時代の世界のサッカーシーンで活躍したレジェンド級の選手や、
1990年代の欧州の名選手たちが在籍していたりしたんです。
ボローニャに在籍した選手をまとめてみますと、ボローニャがただのサッカークラブでないことがわかると思います。
有名どころを何人か紹介してみます。
アンジェロ・スキアビオ
1934年の第2回W杯で優勝したイタリア代表のスキアビオ。
そのW杯で4点を上げイタリアの優勝に貢献し、4得点は、ネイエドリー(チェコ)とコーネン(西ドイツ)と並び得点王とされてきましたが、
2006年になってネイエドリーを正式な得点王とするというFIFAの発表により、得点王ではなくなったというエピソードのある選手です(笑)
スキアビオは生涯をボローニャでプレーし、得点王にもなったことのある、イタリアの、ボローニャのレジェンド選手です。
アントニオ・カブリーニ
1980年代に世界最高の左SBと称されたカブリーニ。
長年ユヴェントスで活躍しましたが、引退する前の2シーズンをボローニャでプレーしています。
サッカー界屈指のイケメンとしても有名でしたね(笑)
ロベルト・マンチーニ
マンチーニの現役時代をご存知のかたであれば、マンチーニ=サンプドリアとイメージされると思いますけど、
マンチーニのプロサッカーデビューはボローニャです。
ボローニャで17歳でプロデビューして1シーズン過ごしたのち、サンプドリアに引き抜かれ、スター選手として成長していったんですね。
2019年現在、イタリア代表監督を務めています。
ロベルト・バッジョ
イタリアの至宝バッジョもボローニャでプレーしました。
ボローニャでのバッジョはけっこう劇的で、
ユヴェントス、ミラン、インテルなどのビッグクラブを渡り歩くわけですが、
ボローニャに在籍したのは1シーズンだけなんですけど、このときに22得点を記録し、キャリア最高の得点をしています。
後で紹介することになりますが、
ユヴェントス、ミランと渡り歩いてきたバッジョが、サッカー選手として「落ち目」になってきたのではないかというときに、
このボローニャの活躍で、バッジョが復活!ということになり、インテルへと移籍していくのです。
選手として調子が落ちてきたと思われたバッジョが復活したのが、このボローニャなのです。
ジュゼッペ・シニョーリ
マンチーニやバッジョと同じ時代のイタリアのアイドルと言えばシニョーリでした。
ラツィオのエースだったシニョーリが徐々にサッカー選手としての調子を落としはじめたときに、やはりボローニャで復活!
セリエAで3度の得点王となったシニョーリもボローニャでプレーしていました。
中田 英寿
そして、日本人サッカー界のレジェンドの一人である中田英寿もボローニャで1シーズン(半年間)プレーしています。
中田ヒデも所属のパルマで大活躍という状態ではない中で、ボローニャにレンタルされ、
降格の危機に面していたボローニャのセリエA残留に貢献しました。
以上、ボローニャに在籍していた有名選手を6日本ほどピックアップしてみました。
- スキアビオ
- カブリーニ
- マンチーニ
- Rバッジョ
- シニョーリ
- 中田ヒデ
こんな凄い面々が在籍していたボローニャです。
・・・冨安はこんなクラブでプレーするんでしょうか・・・。
有名なサッカー選手6人をピックアップしましたが、他にもシブい選手たちが在籍していました。
名前だけ羅列してみますけど、
- ハーラー(西ドイツ代表FW)
- パリュウカ(イタリア代表GK)
- アンデション(スウェーデン代表FW)
- ディ・ヴァイオ(イタリア代表FW)
- ジラルディーノ(イタリア代表FW)
あたりもボローニャでプレーしていました。
ハーラーは西ドイツのレジェンドです。
ボローニャの特徴?あるある?
イタリアの古豪であり、近年はあまり強くもないボローニャなんですけど、ちょっと面白いサッカークラブなんです。
所属した選手のところで少し触れたんですけど、
「落ち目になってきた選手が復活する」
という傾向があるんですね。ボローニャあるあるでしょうか(笑)
これはwikiにも書いてあるんですけど、
ACミランで不調だったバッジョがボローニャでキャリア最高の1シーズン22得点を上げた、
フォッジアでの活躍後ラツィオに移籍して大活躍したシニョーリが、調子を落としてサンプドリアを経てボローニャに移籍してきて、大活躍、
パルマ、ユヴェントス、バレンシア、モナコと渡り歩いたディ・ヴァイオがキャリアで一番長い4シーズンを過ごして活躍、
また、中田ヒデも同じような傾向、
このように、他のクラブで出場機会がなくなったり、調子が落ちてきたような、スター選手が、
ボローニャでプレーすると、調子を取り戻したり、キャリア最高の実績を残したりするケースが多いんですね!
古豪ではありますけど、決してビッグクラブとは言えないボローニャですから、
クラブで活躍する選手はすぐにビッグクラブに引き抜かれていきます。
2019年に21歳になる冨安、セリエAでサッカーをすれば、ユーヴェ、インテルなどのビッグクラブの首脳陣も冨安を観る機会があるでしょうね。
ということは、近い将来、ビアンコネロのユニフォームを着る日本人CBが誕生するのかもしれません!!
もし、冨安が加入することになったら、ボローニャのユニフォームは買いでしょうね!(笑)
ちなみに、ボローニャの監督たちもけっこうな面々が務めてきたようで、
- マッツォーネ
- ザッケローニ
- ドナドニ
- インザーギ
などが務めてきたようで、現在は2度目となるあのシニシャ・ミハイロビッチが務めているようです。
冨安に必殺のFKを伝授してほしいものです(笑)
2019-20シーズンの在籍選手には誰がいるのかはまだはっきりとしませんが、
チリ代表のエリック・プルガル(←コパアメリカ、日本戦で先制ゴールを決めた)がいます。
まとめ
以上、今回はセリエAの古豪ボローニャFCを紹介してみました。
強いチームではありません、もちろんUCLやEULへの出場も難しいと思います。
が、上記のように、イタリアのレジェンドたちがプレーし、ベテラン選手が復活する不思議な歴史をもったチームです(笑)
冨安が移籍すれば、中田ヒデに次ぐ2人目の日本人がプレーすることになります。
これを機にボローニャというサッカークラブを覚えて、ちょっとサッカーに詳しくなってみましょう。
今回の記事が読んでくださったみなさんのサッカーの楽しみにお役に立てればうれしく思います。
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また、世界のサッカークラブについてまとめてありますので、こちらもご参照ください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。