日本代表のエース大迫勇也がプレーする「ブレーメン」はご存知ですか?
古くからの日本のサッカーファンには思い入れのあるサッカークラブではないでしょうか。
今回は、このブログのサッカークラブを紹介するシリーズ、
ドイツの名門ブレーメンを紹介したいともいます。
凄いサッカークラブだった?んですよ(笑)
目次
ヴェルダー・ブレーメン
ヴェルダー・ブレーメンはドイツのブレーメンを本拠地とする総合スポーツクラブです。
陸上、ハンドボール、卓球などの競技部門を所有する、会員4万人を誇るスポーツクラブです。
このスポーツ部門を代表するのがサッカーということです。
ブレーメンというクラブを簡単に。
Sportverein Werder Bremen von 1899 e. V. (通称:ブレーメン)
愛 称: Die Werderaner(中洲の民)
ホーム: ブレーメン(ドイツ)
創 設: 1899年(明治32年)←!!
スタジアム: ヴェーザー・シュタディオン(42,100人)
国内タイトル
- ブンデスリーガ4回(←4位)
- ドイツカップ6回(←2位)
国際タイトル
- UEFAカップウィナーズカップ優勝1回
まず、ブレーメンの注目すべき点は、創設された年、1899年という1800年代なんですね。
欧州のサッカークラブ、それも、名門、伝統の、と言われるクラブの多くは、1900年代に創設されるんです。
例えば、ドイツ国内の名門クラブの創設年をみてみますと、
- 1900年:B・ミュンヘン
- 1904年:レバークーゼン
- 1904年:シャルケ
- 1909年:ドルトムント
↑だったりするんですが、ブレーメンはドイツNo.1クラブであるB・ミュンヘンよりも古いクラブなんですね。
正に、ドイツの伝統クラブと言えます。
ちなみに、ブンデス1部に所属しているクラブでは、
長谷部の所属するフランクフルトの創設もブレーメンと同じ1899年、
宇佐美や原口が所属したデュッセルドルフの創設は1895年、
細貝などが所属したヘルタ・ベルリンの創設は1892年、
ドイツは古いクラブが多いんですね。
さらに、欧州のビッグクラブの創設をみてみますと、
- 1878年:マンU
- 1892年:リヴァプール
- 1893年:ポルト
- 1897年:ユヴェントス
- 1899年:バルセロナ
- 1899年:ACミラン
- 1900年:アヤックス
- 1902年:R・マドリード
- 1904年:ベンフィカ
- 1908年:インテル
↑と、ブレーメンはバルサやミランの創設と同じです。
ブレーメンはとても歴史のあるサッカークラブなんですね。
また、ブレーメンは古いだけのクラブではありません。
ブンデスリーガで4度のリーグ制覇(ドイツ国内で4位)、
ドイツの国内カップで6度優勝(ドイツ国内で2位)、という実績を誇ります。
また、国際タイトルも1度(1991-1992UEFAカップウィナーズカップ)優勝しています。
ドイツのサッカークラブでUEFAカップウィナーズ・カップを獲ったのは、
- B・ミュンヘン
- ドルトムント
- ハンブルガー
- マクデブルグ
- ブレーメン
の5クラブしかないんですね。
つまり、ブレーメンの実績をみていると、強豪クラブであることもわかります。
大迫はこんな伝統のある強豪クラブでプレーしているということになります!
ブレーメンの黄金期は2度あったと言えます。
1987~1995年、2003~2010年の2度です。
1987~1995年の間は(この記事で「第1次黄金期」とします)、
- リーグ優勝2回
- リーグ2位1回
- リーグ3位2回
- 国内カップ優勝2回
- 国内カップ準優勝2回
- UEFAカップ優勝
↑と、凄まじい実績を残していますし、
2003~2010年の間は(この記事で「第2次黄金期」とします)、
- リーグ優勝1回
- リーグ2位2回
- リーグ3位3回
- 国内カップ優勝2回
- 国内カップ準優勝1回
↑と、こちらでもほぼ毎年優勝争いを繰り広げるという実績なんですよね。
B・ミュンヘンやドルトムント、マンUやR・マドリーのようなビッグクラブではありませんが、
実力のあるサッカークラブだということが言えると思います。
こういうブレーメンのようなビッグではないクラブが、強いのは、その時期に強い選手が生まれるからなんですよね。
後で紹介しますが、この第1次黄金期、第2次黄金期のブレーメンには、ブレイクした選手がいたということになります。
しかし、2010年のリーグ3位の後、ブレーメンは低迷してしまいます。
2010年以降のブレーメンのリーグ最高成績は8位で、10位台の方が多いという、あんまり強くないクラブになってしまいました。
その低迷しているブレーメンに我らが大迫が加入したのが2018年で、現在2シーズン目。
大迫のブレーメンでの1年目のシーズンは、リーグ&カップ戦合わせて23試合出場で5得点。
この記事を書いている段階で、ブンデスリーガは3節が終了していますが、
大迫は全試合スタメン出場で3得点と活躍の兆しを見せています。
ブレーメンでの大迫の爆発を期待したいですよね。
ブレーメンのユニフォームは↓伝統の緑&白です。
↑奥寺がプレーしていた頃とはデザインがだいぶ変わりましたけど、シンプルでなかなかいいユニフォームじゃないでしょうか。
緑の色合いが良いですよねぇ、1着ほしいです(笑)
ブレーメンは、こんなサッカークラブです。
ブレーメンでプレーしたサッカー選手たち
ブレーメンでプレーした有名なサッカー選手たちを確認しておきましょう。
歴史が古く、2度の黄金時代のあったブレーメンですから、クラブのレジェンドも多くなります。
読んでくださっている皆さんに、ブレーメンというサッカークラブを覚えてほしいので、「この選手こそブレーメン!」という選手をピックアップしてみたいと思います。
オットー・レーハーゲル
のっけから選手でなくて申し訳ないのですが、ブレーメンとサッカークラブを語るときに、レーハーゲルを外すわけにはいかないのです。
1981~1995の14シーズン、ブレーメンの監督を務め、
あまり強くなかったブレーメンをドイツ屈指の強豪クラブに育て上げたのがレーハーゲルです。
古くからのサッカーファンの方であればご存知だと思いますが、
レーハーゲルは、ブレーメンを強豪クラブにした後に、
これまたあまり強くなかったカイザースラウテルンというサッカークラブの監督を務めると、
ブンデス2部で優勝させ、1部昇格したその年にブンデスリーガ優勝という離れ業をやってのけ、
その後、またまたあまり強くなかったギリシャ代表の監督を務めると、
2004年の欧州選手権でフランス、チェコ、ポルトガルに競り勝ち、ギリシャにUEROのタイトルをもたらしました!
つまり、あまり強くないチームを強くする、勝たせるということにおいて、凄い監督なんですね(笑)
このレーハーゲルの最初の成功がブレーメンだったのです。
あとで紹介しますけど、奥寺を我らがレジェンドにしてくれた一人がレーハーゲルだと言っても過言ではないと思います。
トーマス・シャーフ
「ミスター・ブレーメン」を選ぶなら、間違いなくこのトーマス・シャーフだと思います。
1972年にブレーメンのユースに入団し、1978年にブンデスリーガデビュー。
その後17年間、ブレーメンでプレー、281試合出場。
レーハーゲルが築いたブレーメンの第1次黄金期の中心選手で、奥寺ともチームメイトでした。
さらに、選手の晩年は、現役選手としてプレーしながら、ブレーメンのユースの監督を務め、
1999年にトップチームの監督を務めることになります。
そして、ブレーメンの第2次黄金期を迎えることになるんですね。
出身はブレーメンではありませんが、選手として17年、監督として18年、
35年間ブレーメンと関わったシャーフこそ、ブレーメンの真のレジェンドであり、「ミスター・ブレーメン」と言えるでしょう。
カール=ハインツ・リードレ
ブレーメンが、第1次黄金時代の始まりとなるブンデスリーガ2度目の優勝を飾ったときのエースストライカーがリードレ。
特に1990~2000年の間で、ドイツ代表として、またラツィオ(イタリア)、ドルトムント(ドイツ)、リヴァプール(イングランド)というビッグクラブで活躍したリードレですが、
その活躍の足掛かりとなったのがブレーメンでの活躍です。
180cmないのにエアバトルがめちゃめちゃ強いストライカーでした。
ウィントン・ルーファー
Jリーグが始まったばかりの頃、ジェフ千葉にルーファーという助っ人がいたのを覚えていますか?
ルーファーもブレーメンの第1次黄金期の中心メンバーです。
ルーファーはニュージーランドの選手で、オセアニア史上最高の選手の座をあのキューウェルと争うほどの選手です。
ルーファーはブレーメンの唯一の国際タイトルUEFAカップ優勝に貢献しました。
同じくジェフの助っ人外国人だったオルデネビッツやボグダノビッチもブレーメンの選手。
奥寺との繋がりでブレーメンから凄い外国人がきていたんだと思いますね。
アイウトン
現役時代に実に21ものクラブでプレーした(←私による調査ですので)アイウトン。
ブレーメンの第2次黄金期の始まりである2003シーズンのブンデスリーガ&ドイツカップ優勝の2冠を達成したときのエースストライカーがアイウトンです。
他のサッカークラブはほぼほぼ1シーズンプレーするのみなんですが、
ブレーメンだけは5シーズン?プレーしていて、その間リーグ優勝1回、ドイツカップ2回の獲得に貢献。
ブラジル人ですが、ブラジル代表の実績はありません。
ミロスラフ・クローゼ
ドイツ代表で大活躍したクローゼ、ワールドカップの最多得点記録(通算16点)保持者なんですけど、
クローゼがプレーしていたサッカークラブってどこが思い出されますか?
代表での活躍が凄すぎて、クラブでの活躍が印象に残っていないような・・・(笑)
クローゼが選手として大爆発するのが、ブレーメン時代で、クロアチア代表のイヴェン・クラスニッチとのコンビで大活躍しました。
以上、ブレーメンのレジェンドたちを代表して6人の選手を紹介しました。
特にこの6人は、このブログの中で「ブレーメンの黄金期」の中心人物たちです。
もちろん、他にも凄いレジェンドたちはいます。
ブレーメンがブンデスリーガで初優勝したときには、ヘットゲスという選手がいたんですけど、
このヘットゲスはブレーメンでの試合出場は450試合!!で、
西ドイツ代表キャップ66、西ドイツのW杯の準優勝、3位に貢献しているレジェンドです。
凄い選手がたくさんいるんですけど、紹介しきれませんので、ここでまとめておきます。
- ヘットゲス(西ドイツ)
- ブルーノ・ペッツアイ(オーストリア)
- ルディ・フェラー(西ドイツ)
- マリオ・バスラー(ドイツ)
- トルステン・フリンクス(ドイツ)
- イヴァン・クラスニッチ(クロアチア)
- ジョアン・ミクー(フランス)
- メルテザッカー(ドイツ)
- ジエゴ(ブラジル)
- メスト・エジル(ドイツ)
- ピサーロ(チリ)←2019年40歳まだ現役です!
ペッツアイやフェラーは奥寺とチームメイトで一緒にプレーした、世界的な選手です。
ミクーはフランス人で、代表ではジダンとポジションを争い(ジダンの控え)、
パルマで中田英寿とポジションを争った選手です。
パルマからブレーメンに移籍して、ブレーメンの背番号10をつけて活躍したのがミクーですね。
さらに、ブンデスリーガで得点王になったブレーメンの選手をまとめてみると、
- ルディー・フェラー(クラブ初)
- マリオ・バスラー
- アイウトン
- クローゼ
の4人で、この選手たちもブレーメンのレジェンドであることは間違いありません。
クラブ史上5人目のブンデス得点王を、大迫に期待したいですよね!
奥寺のいた頃のブレーメン
ブレーメンを紹介するときに、日本サッカー界のレジェンド奥寺康彦に触れないわけにはいかないですよね。
奥寺が在籍していた1981~1986年の5シーズン、ブレーメンは強かったんです。
1981年にブンデス2部から1部に昇格したタイミングで、レーハーゲルが監督となり、
そのレーハーゲルに認められ、ブレーメンに加入したんです。
奥寺が在籍していた5年間のブレーメンの成績は、5位、2位、5位、2位、2位で、常に優勝争いをする強いブレーメンだったんです。
そして、奥寺が日本に帰ってきた2年後にクラブ史上2度目のリーグ優勝を成し遂げ、ブレーメンは第1次黄金期を迎えるわけです。
奥寺はブレーメンに在籍した5シーズンの間、レギュラーとして毎年30試合以上出場し、活躍しました。
※5シーズンでリーグ戦159試合、国内カップ戦17試合、計166試合出場←ブレーメンでの奥寺、ドイツ国内戦のみ。
しかも!奥寺が凄いのは、
1980年代のブンデスリーガは、世界サッカーリーグで最もレベルが高いと評価されていて、
ブンデスリーガでは、試合に出場できるドイツ国外選手は2人という規則があったんです。
29歳でブレーメンに加入した奥寺は、
- 世界最高リーグの
- 優勝争いをするクラブで
- 外国人は2人しか出場できないのに
レギュラーとして試合に出場し続けたんです。
奥寺が5シーズンを過ごしたブレーメンの監督がレーハーゲルであり、
一緒にプレーしたのが、
- トーマス・シャーフ
- ブルーノ・ペッツアイ(もう一人の外国人)
- フェラー
- オルデネビッツ
というブレーメンのレジェンドたちです。
トーマス・シャーフはその後、フランクフルトで乾や長谷部の監督を務めますが、
「オクと長谷部は共通点がある。2人を比べればオクの方が少しダイナミックだったかな」
と評価します(長谷部がだめだということではありません)。
2014年にブンデスリーガ公式が発表した「歴代日本人トップ10」と、ブンデスリーガでプレーした日本人の活躍ぶりをランキングしたんですが、
香川、岡崎、長谷部、ウッチーを抑えて、奥寺が1位に選出されています。
この選出には、ブレーメンだけではなく、ケルン時代の活躍も加味しているんだろうと思いますけど。
日本人にとって、ブレーメンと言うクラブを語るときに、欧州で認められた初の日本人、奥寺康彦は外せません(笑)
ブレーメンでプレーする2人目の日本人、ハンパない大迫。
奥寺がブレーメンでプレーしていたときに、大迫はまだ生まれていません。
日本人に馴染みのあるクラブなので、大迫には大活躍してもらいたいですよね!
ちなみに、奥寺がドイツで所属したのはケルン、ヘルタ・ベルリン、ブレーメン、
大迫がこれまで所属しているのは1860ミュンヘン、ケルン、ブレーメン。
しかも、奥寺も大迫もそれぞれヘルタ、1860ミュンヘンでブンデス2部で1シーズンプレー。
こんなに共通点のある奥寺と大迫。
・・・良い予感しかしないんですけど(笑)
まとめ
以上、今回はブレーメンというサッカークラブを紹介しました。
世界のサッカークラブの中でも、かなり古い歴史があり、また、ドイツの強豪クラブです。
近年は低迷していますが、大迫の頑張りで、いい成績を収めてほしいと思っています。
今回の記事が読んでくださったみなさんのサッカーの楽しみにお役に立てればうれしく思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。